◆「資生堂の美容」という本からの検証

現在担当させていただいている、9月の美容セミナーが終了いたしました。開催期間中はお天気が少々心配でしたが無事何事もなく終わることができました。さて突然ですがその美容セミナーの『美容』と言う言葉について、トリビア的なお話を記事にしてみます。(笑)
私が「美容」に興味を持ちそれを深めてみたいと思い始めたきっかけは、前職の資生堂ときってもきれないことなので、その事をブログで少しずつ記事にしていこうと思います。

さて、「美容」の意味は、辞書によるとその字のとおり「美しい容貌」や「顔や身体を美しく整えること」となっています。この「美容」という言葉はいつ頃から使われるようになったかといいますと、実は資生堂が「美容科」と言う組織を作ったことから世の中に広く「美容」と言う意味とともに言葉が使われるようになったと言うことなのです。

それについて、昔社員に提供された「資生堂の美容」という歴史の本からひも解いてみたいと思います。

img_1669web

資生堂の創業は1872年(明治5年)我が国初の「洋風調剤薬局」だったそうです。創業者の福原有信(ふくはらありのぶ)は海軍病院の薬局長だったことから、当時粗悪な薬品がでまわっていることを憂い日本発の医薬分業システムの確立を志し『資生堂調剤薬局』を創業しました。

◆資生堂の前身は薬局だった!

資生堂は、もともとは「薬局」だったのです。もしかしたらこれだけでもトリビア的「へえ~!へえ~!」と言う感じかもしれませんが、資生堂調剤薬局は品質の良い高価な薬品を取りそろえたために創業当時の経営はかなり苦しい状態だったと言うことです。でも次第に世の中に高い評価で認知されていったそうですが、ここからが資生堂が実に面白い展開となるのです。

資生堂は1897年(明治30年)に「オイデルミン」という化粧水を発売し本格的に化粧品製造や販売を展開することになります。本当はオイデルミンについてもっと語りたいところなのですが、この話はいずれまた!

◆『近代美容事始』

さて、話を戻します。時のころは1922年(大正11年)、資生堂はこの頃にはすでに今で言う宣伝部のような機能をもった意匠部がありその部員のアイデアで、資生堂の化粧品部のあった2階を改装し、「美容科」「美髪科」「子供服科」の3科を開設したのだそうです。

そうなのです。ここで「美容」という言葉が使われることになるのですが、「美髪科」も当然資生堂で開設されるのは理解できますが、「子供服科」については、何故?かが気になりますが(笑)
それはさておき先述の本『資生堂の美容』ではこの章のタイトルが「近代美容事始」とありますから、まさに日本の「美容」の歴史の始まりなのです。

◆画期的な美容相談

「美容科」の実態は、簡単に言うと今で言う「美容相談」をするところとなるのですが、現在との違いは、その相談にあたったのが高橋穀一郎医学士で皮膚科の専門医だったそうです。これは“真に肌を美しくするためには”皮膚・血液・内臓機能の医学的、理学的、光線的、薬化学、血清化学などの知識が必要という考えを理念として持っていたからのことだったようです。そして看護婦(師)さんもいたそうで、来客の美容上の相談を受けニキビ、シミ、肌荒れなどの皮膚トラブルについてのアドバイスをしていたそうです。その当時化粧品店の美容相談などまったくなかったそうですから、これは日本の風俗文化史の中でも画期的な出来事だったそうです。

img004
moji

さて、「美容」という言葉が世の中に広まる話ですが、この美容科を作った意匠部員たちは当時広報的な仕事も兼ねており、大正の新風俗を次々と生み出していったファッションの街銀座の資生堂は、新聞、雑誌婦人部や家庭部の記者のたまり場になっていたそうです。
当時は、記者仲間の間では『資生堂婦人記者クラブ』と言う愛称もあったようですが、この結びつきから資生堂をニュースソースとした美容記事が新聞、雑誌に登場することが多々あったようです。

つまりそうした記事が、資生堂の「美容」と言う言葉とともに「美容」を広げるのに大きな役割を果たし現在に至っているとのことなのです。

今回は「美容」と言う言葉の広まりについて記事にしましたが、資生堂は銀座の地で1916年には薬局から化粧品事業に本格転換し煉瓦造りの3階建てのビルの1階には店舗、その他には意匠部、そして商品の品質や安全性を担い、製品の開発と改良を行う試験室も開設され、これが後の資生堂研究所へと発展することになるのですが、改めて「美容」の伝道師を生業にしていきたい私の想いのルーツはここに有りと思うのでした。

いかがでしたか、少しでも「へえ~!」と思っていただけたら幸いです!